2024年4月22日月曜日

東日本大震災と復興の現場

 ◆宮城県石巻市





















2011年9月の石巻市(上2枚)。街には被害の跡が残り、打ち上げられた船舶も横たわっていた。3枚目は2018年7月。石ノ森章太郎のミュージアムも賑わうようになっていた。


◆仙台市


















 













仙台市の海岸部は津波に襲われ甚大な被害が出た。上4枚は2011年9月の若林区・荒浜の風景。・若林区の荒浜小学校。2011年と2024年の風景。ガソリンスタンドの残骸は津波の威力を示し、田んぼには自動車が残されていた。荒浜小学校にはオートバイなどの残骸が積まれていた。荒浜小は2016年に廃校となり、震災遺産になった(5枚目、2024年4月)。


◆岩手県・陸前高田市
























陸前高田では人口の7%に当たる1800人以上が津波の犠牲になった。上から津波に襲われた道の駅、コンベアを使ったかさ上げ工事(いずれも2015年10月)、震災から14年後の2024年4月の風景。


◆岩手県・宮古市






宮古市提供(Creative Commons) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:2011_Tohoku_earthquake_tsunami_in_Miyako.jpg

閉伊川からの津波に襲われる宮古市中心部(1枚目、宮古市提供のCreative Commons写真)。2枚目は2014年5月の風景。宮古市北部の田老地区は、スーパー堤防を越えた津波に洗い流された(2014年5月撮影)。

岩手県・大槌町











津波被害を受けた町役場は町を2分した議論の末、2019年に解体された。


◆岩手県・山田町


 










山田湾のカキ養殖は、震災による壊滅から数年を経て復活した(2018年8月)。


◆南三陸のインフラ復興



 



















被災地ではインフラの復興工事が進んだ。海岸沿いにも道路建設が進んだが、巨大な防潮堤で海が見えなくなった場所も多い。(岩手県山田町、2018年7月)


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2011年の東日本大震災以降、何度か被災地を訪れている。地震・津波による死者・不明者は18000人を超え、多くの方が家を失った。各地のインフラが寸断され、経済・社会活動が麻痺した。

その後各地で復興が進み、道路や鉄道は復旧。住宅は再建され、新たな防潮堤がつくられた。しかし、「インフラは復旧したが、人は十分に戻らない」という問題に直面する場所も少なくない。

人口減少、過疎、高齢化、地域起こし、人々の絆――各地を訪れると地域の現状や課題が浮かび上がってくる。同時に地元の人との交流から、いつも元気をもらっていることに気付く。

なお、東京電力福島第一発電所の周辺はいまだ訪問を見合わせている。

2024.4.22

 

 

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