原爆ドームを訪れた外国人観光客ら。原爆被害のシンボルとして世界に情報を発信し続ける(2024.3.30撮影)
広島平和記念資料館から原爆死没者慰霊碑、原爆ドームを望む。常に多くの人が訪れる(2024.3030撮影)
原爆資料記念館の展示室で。世界から訪れる訪問者は、厳かな雰囲気で見学する(2024.3030撮影)
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世界の人々と日本について話をする時、広島や長崎について聞かれることがしばしばある。世界唯一の被爆国の国民に対する当然の質問だろう。そんなときには、広島や長崎の最低限のことを理解し、語れなければいけないと痛感する。
2002年にウクライナでの戦争が始まり、ロシアのプーチン大統領は核の威嚇を繰り返すようになった。核戦争の危機が再び高まっている。どうしたら良いか分かるものではないが、目を逸らさず問題を直視しなければと思う。
今回訪問(2024年3月)を機に、原爆ドームの資料を読み返してみた。広島市議会により永久保存が決まったのは1966年。戦後取り壊しを求める声もあったが、1960年に原爆後遺症の白血病により16歳で亡くなった楮山ヒロ子さんの日記がきっかけになり、保存運動が高まったという。原爆ドームのない広島は、今では想像できない。メッセージを強く受け止めたい。
2024.3.30
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