2024年4月22日月曜日

米沢


 







米沢城跡には上杉神社が建ち、上杉謙信を祀る。表参道には「毘」と「龍」の旗がたなびく。














上から上杉謙信、上杉景勝と直江兼続、上杉鷹山の像(2024.4)









市を最上川が流れる。2024年4月の訪問時には桜が満開だった。












1992年に山形新幹線が開通し、東京まで最短2時間8分。米沢駅では米沢牛の模型が出迎える。


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多くの日本人にとって、米沢の名前は日本史に関連して聞いたことが多いのではないか。豊臣秀吉の時代以降上杉氏が本拠地とし、上杉景勝と直江兼続が活躍する「天地人」の舞台になった。江戸時代には上杉鷹山の藩政改革が有名だ。

 旧米沢城にある上杉神社には、上杉謙信が祀られている。参道口には毘沙門天の「毘」と龍虎の「龍」の旗がたなびく。敷地内には、景勝と兼続の「天地人」の像や、上杉鷹山の像も立つ。

 上杉鷹山らは明治時代以降、隣接した場所に建てた松岬神社に遷して祀られるようになった。ここにも鷹山の像がある。ケネディ元米大統領は「日本で最も尊敬する政治家」として上杉鷹山の名前を挙げており、娘のキャロライン・ケネディ元駐日大使は米沢の鷹山祭でスピーチをした。

 米沢は最上川上流地域の盆地。20244月の訪問時には、桜が満開だった。

 2024.4.23

 

 

山形市

 











2024年4月の霞城(山形城)公園。桜とタンポポ、新緑が美しかった。




 








市内の七日町御殿堰。レストランや土産物店が囲む(2024.4)



 









JR山形駅前からは仙台などへの高速バスも走り、通勤・通学にも利用されている(2024.4)。


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20244月に山形市を訪れた時は、ちょうど桜が満開だった。仙山線の列車が山形駅の手前、霞城(山形城)に近付くと急にゆっくりになり、「車窓から満開の桜を楽しみ下さい」というアナウンスがあった。

その霞城を訪れると、桜の他にタンポポや新緑が美しく、爛漫という言葉がぴったり。城址公園には戦国末期~江戸初期の武将、最上義光の像が立ち、「慶長出羽合戦で(米沢の)上杉景勝(直江兼続)の軍を退けた」などと説明があった。

山形の街中には江戸時代以前の痕跡が残っていた。かつての用水路の1本は七日町御殿堰となり、食事やショッピングを楽しめる人気スポットになっていた。

1992年に山形新幹線が開通し、東京までの所要時間が現在最短2時間46分。山形駅前のバスターミナルからは高速バスも発着し、仙台(1時間)などへの通勤・通学者も多い。

2024.4.23

 

東日本大震災と復興の現場

 ◆宮城県石巻市





















2011年9月の石巻市(上2枚)。街には被害の跡が残り、打ち上げられた船舶も横たわっていた。3枚目は2018年7月。石ノ森章太郎のミュージアムも賑わうようになっていた。


◆仙台市


















 













仙台市の海岸部は津波に襲われ甚大な被害が出た。上4枚は2011年9月の若林区・荒浜の風景。・若林区の荒浜小学校。2011年と2024年の風景。ガソリンスタンドの残骸は津波の威力を示し、田んぼには自動車が残されていた。荒浜小学校にはオートバイなどの残骸が積まれていた。荒浜小は2016年に廃校となり、震災遺産になった(5枚目、2024年4月)。


◆岩手県・陸前高田市
























陸前高田では人口の7%に当たる1800人以上が津波の犠牲になった。上から津波に襲われた道の駅、コンベアを使ったかさ上げ工事(いずれも2015年10月)、震災から14年後の2024年4月の風景。


◆岩手県・宮古市






宮古市提供(Creative Commons) https://commons.wikimedia.org/wiki/File:2011_Tohoku_earthquake_tsunami_in_Miyako.jpg

閉伊川からの津波に襲われる宮古市中心部(1枚目、宮古市提供のCreative Commons写真)。2枚目は2014年5月の風景。宮古市北部の田老地区は、スーパー堤防を越えた津波に洗い流された(2014年5月撮影)。

岩手県・大槌町











津波被害を受けた町役場は町を2分した議論の末、2019年に解体された。


◆岩手県・山田町


 










山田湾のカキ養殖は、震災による壊滅から数年を経て復活した(2018年8月)。


◆南三陸のインフラ復興



 



















被災地ではインフラの復興工事が進んだ。海岸沿いにも道路建設が進んだが、巨大な防潮堤で海が見えなくなった場所も多い。(岩手県山田町、2018年7月)


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2011年の東日本大震災以降、何度か被災地を訪れている。地震・津波による死者・不明者は18000人を超え、多くの方が家を失った。各地のインフラが寸断され、経済・社会活動が麻痺した。

その後各地で復興が進み、道路や鉄道は復旧。住宅は再建され、新たな防潮堤がつくられた。しかし、「インフラは復旧したが、人は十分に戻らない」という問題に直面する場所も少なくない。

人口減少、過疎、高齢化、地域起こし、人々の絆――各地を訪れると地域の現状や課題が浮かび上がってくる。同時に地元の人との交流から、いつも元気をもらっていることに気付く。

なお、東京電力福島第一発電所の周辺はいまだ訪問を見合わせている。

2024.4.22

 

 

仙台

 










青葉城跡に立つ伊達政宗の像。仙台の街を見下ろす(2024.4)












JR仙台駅の駅ビル。広告の垂れ幕には東北楽天イーグルスの田中将大投手が使われていた(2024.4)














 







2011年の東日本大震災で、仙台市の沿岸部は甚大な被害を受けた。その後復興が進み、街の様子も変化している。(→東日本大震災と復興の現場ページ参照)

 

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東北地方最大の都市で人口は20241月時点で109万人。秋田県(202391万人)や山形県(2024102万人)より多い。仙台駅前や青葉通り、一番町、国分町などの繁華街は人で溢れる。

仙台発展の拠点となった青葉城は、広瀬川沿いの丘陵に立っていた。今では城址公園だ。頂上の本丸跡付近には伊達政宗の像が立ち、仙台の街並みを見下ろす。

2011年の東日本大震災で、仙台の沿岸地区は甚大な津波被害に遭った。若林区の荒浜地区にある荒浜小学校は、今では震災遺構として残る。(震災関連は「東日本大震災と復興の現場」の記事参照)

2015年に地下鉄東西線が開通し、荒浜地区に近い荒井に終点のターミナル駅ができた。これを機に商業施設や住宅の開発も加速している。震災からの復興で都市が変わっていく姿も見える。

2024.4.23


2024年4月6日土曜日

広島:原爆ドームと平和記念公園











原爆ドームを訪れた外国人観光客ら。原爆被害のシンボルとして世界に情報を発信し続ける(2024.3.30撮影)


 









広島平和記念資料館から原爆死没者慰霊碑、原爆ドームを望む。常に多くの人が訪れる(2024.3030撮影)


 











原爆資料記念館の展示室で。世界から訪れる訪問者は、厳かな雰囲気で見学する(2024.3030撮影)

 

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世界の人々と日本について話をする時、広島や長崎について聞かれることがしばしばある。世界唯一の被爆国の国民に対する当然の質問だろう。そんなときには、広島や長崎の最低限のことを理解し、語れなければいけないと痛感する。

2002年にウクライナでの戦争が始まり、ロシアのプーチン大統領は核の威嚇を繰り返すようになった。核戦争の危機が再び高まっている。どうしたら良いか分かるものではないが、目を逸らさず問題を直視しなければと思う。

今回訪問(20243)を機に、原爆ドームの資料を読み返してみた。広島市議会により永久保存が決まったのは1966年。戦後取り壊しを求める声もあったが、1960年に原爆後遺症の白血病により16歳で亡くなった楮山ヒロ子さんの日記がきっかけになり、保存運動が高まったという。原爆ドームのない広島は、今では想像できない。メッセージを強く受け止めたい。

2024.3.30











呉港のアレイからすこじまの埠頭に停泊する海上自衛隊の繊維館(2024.4.1)









潜水艦が何隻も並ぶ風景は壮観だ(2024.4.1)


 








自衛隊基地に隣接する地域には造船・海洋エンジニアリング会社の事業所があり、ドックに入った船も見える(2024.4.1)

 











アニメ映画「この世界の片隅に」(2016)は第2次大戦中の普通の市民の日常を描き評判になった。その舞台となった場所(呉市北方の山麓)は、「すずさん家」として保存されている。(2024.4.1)

 

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呉は明治時代以降、海軍の基地として発展し、戦艦大和を建造した地としても知られる。第2次大戦後も海上自衛隊の主要基地を擁する。港湾地区には海上自衛隊の施設や造船・海洋エンジニアリング会社の事務所、米軍の施設などが並ぶ。

アレイからすこじまの桟橋には、現役の潜水艦が何隻も停泊している。日本では珍しい風景だ。街の中心部には、大和ミュージアムや、2004年に運航終了した潜水艦「あきしお」を利用した海自の資料館がある。

2016年にヒットしたアニメ映画「この世界の片隅に」は、広島と呉が舞台。原作はこうの史代の漫画で2007-09年に掲載された。主人公のすずさんは広島市から呉市北部の山麓の家に嫁いでくる。作中では第2次世界大戦中の普通の人々の日常が描かれる。後半部では呉の大空襲や広島への原爆投下により人々の暮らしが翻弄される。

作品の舞台となった場所は原作者の祖父母が住んでいた土地で、現在は「すずさん家」として保存される。付近からは呉港が望め、作中の風景を連想させる。

呉の街で、戦争と平和について色々考えた。

2024.4.1

宮島(厳島)

 
厳島神社から見る大鳥居。(2024.3.31撮影)


 









海から眺める大鳥居と厳島神社。(2024.3.31撮影)











厳島神社は海上に建つ。(2024.3.31撮影)


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宮島(厳島)は広島市の西方約20キロの位置する島で、日本3景の1つ。海上に建つ厳島神社は1996年に世界遺産に登録された。

島は古くから信仰の対象とされ、6世紀に神社が創建された。11世紀に平清盛により大規模な社殿が建設され、現在の形の基礎ができた。

大鳥居は高さ約16メートル。満潮時には海に浸かり、干潮時には足元が姿を現す。神社の建物も満潮時は海水に浸かり、干潮時には砂の上に立つ。

毛利元就が陶晴賢を破った1555年の厳島の戦いを始め、数々の歴史の舞台になってきた。

島の人口は2021年現在約1400人。観光客は2023年で465万人。フェリー埠頭と厳島神社をつなぐ表参道通りには土産物店んが軒を連ね、観光客でごった返す。

宗教、文化、歴史、自然、生活――多くのことを感じさせる。

2024.3.31